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東京家庭裁判所 昭和43年(少)16189号 決定 1969年1月27日

少年 H・T(昭二四・一・三〇生)

主文

この事件について少年を保護処分に付さない。

理由

(罪となるべき事実)

本件事件記録中の検察官送致書記載犯罪事実のとおりであるから、これを引用する。(別紙一添付)

(適条)

兇器準備集合の点につき刑法第二〇八条の二第一項

公務執行妨害の点につき刑法第九五条第一項第六〇条

(本件につき少年を不処分にする事由)

少年の経歴と、本件非行前後の模様については、別紙三添付の昭和四四年一月一五日付調査官意見書一に記載してあるとおりである。

本件につき検察官は刑事処分相当との意見を付し、更に、別紙二記載のとおりの具体的意見を付している。

担当調査官は、本件につき不処分決定相当の意見を提出している(別紙三添付の昭和四四年一月一五日付意見書及び別紙四添付の同月二七日付意見書参照)。

本件審理の経過は次のとおりである。

当裁判所受理後第一回審判を経て在宅試験観察となり、第二回審判までの経過は、別紙三添付の上記意見書二に記載してあるとおりである。

第二回審判後の経過については、別紙四添付の上記意見書に記載してあるとおりである。

第二回審判においては、附添人弁護士は保護観察決定を願いたき旨主張したので当裁判所は、少年審判規則第二六条にもとづき、公安事件の保護観察につき保護観察官の意見を聴取し、第三回審判は、保護観察官も立会つて開かれた。

第三回審判において、保護観察官は、「本件のように、信念をもつて行動してきた少年について、心境に変化があるときは、大きな悩みやジレンマがあると思うので、その悩みやジレンマについて、保護観察の面から相談にのつてやることは、少年のために役に立つと思料する」旨述べた。

附添人は「前回審判の際、保護観察を希望したが、その後の少年の態度からみると、保護観察決定よりも、むしろ不処分決定が妥当と思料する。その理由は、審判を重ねるにつれ、少年は、自分の将来のことなどを考え、違法行為は出来ないと主体的に考えることができるようになつていると思料されるからである」と述べた。

担当調査官は、前記意見書にもとづいて不処分決定相当の意見を述べた。

以上審理の結果を綜合し、当裁判所は、本件につき次のように判断する。

先ず、検察官の意見は、身柄付逆送による刑事処分相当としているが、その意見は検察官の取調段階においてはもつともな意見であつたといえるが、少年は、家庭裁判所の手続に入つてからは、素直に、事実を全部認め、第一回第二回第三回と審判手続を重ね、試験観察を経て、次第に、自分自身の自覚にめざめ、違法行為はできないという心構えの強まりつつある状況が明らかに認められるに至つたのである。従つて、この少年を、本件につき刑事処分に付することは、少年法の趣旨に照らし、妥当でないと判断する。

次に公安事件と保護観察の問題について考えてみると、公安事件の少年たちは信念をもつて行動しているとはいえ、その信念の反面には、専門的指導を要する青少年期特有のコムプレツクスに満ちた心理状態がひそんでいると考えられるので、その専門的指導を保護観察担当者に期待すべき面が多いと思料されるのである。

従つて、一般論としては、公安事件についても、少年保護事件である限り、保護観察による指導監督と補導援護に期待することが、少年法の趣旨にそう所以であると思料するが、之を具体的本件について検討とすると、家庭裁判所の審理過程を通じて次第に自重自愛の精神にめざめ、もはや今後は、違法行為は出来ないと主体的に考えることができるようになつた少年自身の自律心に期待することが、本件としては、最善の処遇であると思料する。

結局、本件については、附添人及び担当調査官の意見に従い不処分決定を相当と判断する。

よつて、少年法第二三条第二項を適用の上主文のとおり決定する。

(裁判官 市村光一)

別紙一

被疑者は、多数の学生らとともに、警察官らに投石、殴打などの暴行を加え、その制止を排除して内閣総理大臣官邸に侵入しようと企て、

第一、学生ら約六〇〇名が昭和四三年一一月七日午後四時四五分ころから同七時四四分ころまでの間にわたり、東京都千代田区○○○○○×丁目○番地○○大学中庭にそれぞれ角材を携えて集まり「決起集会」を開いて、右企図を実現するために所携の角材を使用する決意を固めたのち、さらに多数の石、コンクリート塊などをも所持し、その集合状態を継続しつつ同所付近道路上を行進してお茶の水駅から地下鉄を利用し銀座駅に出て、晴海通り、外堀通りを行進し同区永田町二丁目総理官邸下交差点付近に至つた際、角材および石塊を所持して右集団に加わり、もつて他人の身体、財産に対し共同して害を加える目的をもつて兇器を準備して集合し、

第二、多数の学生らと共謀のうえ、同日午後七時四五分ころ前記総理官邸下交差点付近において、前記学生らの同官邸侵入を阻止するため、前面に警備車を配置して警備中の警視庁第一方面本部長警視正金原忍指揮下の警察官に対し、石塊を役げつけるなどの暴行を加え、もつて右警察官の前記職務の執行を妨害したものである。

別紙二

昭和四三年一一月二八日

東京地方検察庁

検事 窪田四郎

東京家庭裁判所

裁判官 殿

少年 B・Tについての意見について

被疑少年は、昭和四三年四月○○日建造物侵入で検挙された前歴がありながら再度本件違法行為に及んだものであり、本件一一、〇事件についても○○派に属し梯団の指導者として活躍し、○○派集団の指揮者の一人として違法行動に出ているものでありその反社会的性格、法秩序無視の行為は、悪質であり、何ら反省の色もなく再犯のおそれは大である。しかも被疑少年は近く、成人に達する年齢でもある。

右の次第であるから、是非とも身柄のまま刑事処分相当として逆送ねがいたい。

なお、被疑少年が本件犯行において主導的指導的立場にある点の証拠として、本件送致記録のほか多数の写真等あるので、質問あれば何時でも説明に参上しますので、よろしくお願い致します。

別紙三 意見書

昭和四四年一月一五目

昭和四三年少第一六一八九号

東京家庭裁判所家庭裁判所調査官 柳 正男

東京家庭裁判所裁判官 市村光一殿

少年 B・T

昭和二四年一月三〇日生

住居 東京都江戸川区○○○×丁目○○番○号

上記少年に対する保護事件は調査の結果下記理由により不処分決定(少年法第二三条二項)を相当と思料する。

理由

一、少年の経歴と本件の非行について

少年はB・I(大正一〇・一一・四生、早稲田大学卒、現在、○○機設株式会社々長、新潟県出身)、B・K子(大正一二・九・八生、高等女学校卒、現在、○○機設株式会社経理担当役員、新潟県出身)の第一子長男として昭和二四年一月三〇日に新潟県○○市大字○○×××○番地にて出生し、幼時、家族と共に上京、江戸川区立○○小学校、江戸川区立○○第○中学校を経て、昭和四二年三月に○○大学附属○○高等学校を卒業したのち、大学受験に失敗して一年間○○○予備校に通いながら浪人生活を送り、昭和四三年に○○○大学夜間部社会科学部に入学現在、同大学第一学年に在学中のものであるが、高校三年時にベトナム問題をとりあげたアサヒグラフをみてベトナム問題や「ベ平連」の活動に関心を示すようになり、さらに予備校在校中に「ベ平連」の会合で全学連○○派系の△△大学々生と知合うようになつてから沖繩問題や全学連○○派の活動にも関心を示し、○○○大学入学後も全学連○○○派の支配する学内の活動には加わらず、学外の○○派系の集会等に参加し、ことに沖繩問題については「沖繩は即時アメリカから日本に返還さるべきもので、これが阻害されているのは、日米安保体制や、この安保体制を維持し続けようとする佐藤内閣によるものである」との確信を抱くようになつたもので、本件の非行は昭和四三年一一月七日に沖繩闘争に関する集会や集団示威運動が行なわれた際、「沖繩即時返還を実現するためには、これを阻害している佐藤内閣に抗議する必要があり、そのためには、たとえ警備に当る警察官の制止を排除してでも首相官邸に突入して意志表示を行なうべきである」と考え、全学連○○派系の一員として角材、石塊等の兇器をもつて「一一・七沖繩闘争」の集団示威運動に参加し、○○派系の一梯団の指揮をとり、首相官邸警備の警察官に投石するなどの違法行為を敢えて行なつたものであり、同日、「公務執行妨害、都公安条例違反」の現行犯人として逮捕され、東京地方検察庁へ送致後の捜査の結果、「兇器準備集合、公務執行妨害事件」として当庁に送致されるに至つたものである。

二、当庁受理後の経過と少年の処遇について

少年は昭和四三年一一月二九日に本件で当庁に受理され、同日、少年法第一七条第一項第二号の観護措置決定によつて東京少年鑑別所に収容されたが、警察官や検察官の取調べに対しては本件非行事実に関するかぎり終始黙秘を続けていた少年も当庁受理後は一切黙秘することなく素直に調査に応じ、検察官の送致書に記載された犯罪事実に相違のない旨を認め、本件についての反省の様子もうかがわれ、また、一週間余りの少年鑑別所収容によつて資質面の各種検査等も終了し、それ以上観護措置を継続する必要はないものと考えられたので昭和四三年一二月七日に観護措置決定が取消され、さらに在宅のままでの調査を行なつたうえ、昭和四三年一二月一二日に当庁の審判に付されることとなつた。

ところで、本件についての検察官の意見は身柄付逆送による刑事処分を相当とし、少年鑑別所のの判定は保護不要となつているが、昭和四三年一二月一二日の第一回審判時に当職は次のように考えた。

まず、少年の本件非行については、少年がひごろから全学連○○派系の活動に参加し同派の運動に同調しており、ことに沖繩問題についてはつよい関心を示し、なんとしてでも沖繩の即時返還を実現させなければならないと考えていたことから敢えて粗暴な違法行為をも辞さなかつたものとみられるが、少年自身は元来は温和で内気な性格であり性格的な粗暴性はみられず、知能、性格ともに一般の非行少年にみられるような問題はなく、正常な少年であると考えられ、また、少年の家庭は両親ともに健在で経済的にも恵まれた堅実な中流家庭であり、家族間の折合い等にも問題はなく、少年の資質、環境のいずれよりみても少年が学生運動とは無関係の非行をくりかえす危険性は認めがたい。従つて少年についての問題は学生運動とのかかわりのなかで、その信条を貫き、おのれのよしとするところを実現するためには今後も敢えて違法行為をも辞さないか否かの一点につきる。しかるに本件非行後少年は「沖繩は即時アメリカから日本に返還されるべきものであり、これを阻害している佐藤内閣に対してはあくまでも抗議し、沖繩の即時返還を実現すべきである」との考えには変りがなく、むしろ、これは正しい考えであると確信しているが、違法行為を辞さぬ本件の行為については果して沖繩即時返還を実現するうえで効果的な方法であつたと言えるのであろうかとの疑問を抱くようになり、もつと異なつた合法的で有効な意志表示の方法もあるのではなかろうかと考えるようになつている。ただ、その具体的な方策を見出すまでにはいたつておらず、「今後この問題を自分なりに考えてみたい」と申述べているので、少年が今後も本件同様の非行を反復するか否かは、少年がこの問題についていかなる結論に到達するかにかかつているといえよう。なお、少年には昭和四三年四月二七日にも沖繩闘争のための集会に参加し集会後のデモには参加しなかつたものの、集会後のデモが警察官に規制された際、これを見物していてまきこまれ通産省敷地内に逃げこんだところを建造物侵入現行犯人として違捕された前歴(四三・六・二七当庁受理、昭和四三年少第八五八五号保護事件、四三・七・一九審判不開始決定)があるも、これは勾留請求却下によつて釈放され、当庁の呼出もなく書面審理のみで終つているところから、やや安易な考えを抱くに至つていた模様であるが、本件では一ヵ月間にわたつて身柄を拘束されたことから違法行為について真剣に考えるようになり、また、両親や家族などに心配をかけてしまつたことを深く反省してもいる。以上の諸点よりみて、少年の処遇については、暫く今後の経過をみまもる必要があり、少年が成年に達する日まで一ヵ月有余をあますにすぎないが予め次回審判期日を指定して在宅試験観察に付し、その経過のいかんによつて少年の処遇を決定するのが適当であると考えた。

昭和四三年一二月一二日、第一回審判の結果、少年は在宅試験観察に付されることとなつたが、その後、当職は昭和四三年一二月一九日、同月二六日、昭和四四年一月一〇日の三回にわたつて少年に面接し、また保護者からも昭和四四年一月一四日に試験観察決定後の少年の経過について実情を聴取したところ、少年には目下のところ○○派系の一員としての学生運動から身を引こうとする考えは毛頭みられないが、本件についての反省の情は顕著であり、たとえば沖繩問題その他についての本人の信条を暴力行為や違法行為によつてではなく映画、演劇活動を通して訴えていきたいと考えるなど、違法行為だけは避けようとする態度が明らかに認められる。

よつて、以上の経過を総括して考えると、現状では、少年についての顕著な犯罪的危険性は認められず、また、少年はやがて成年に達し、最近の学生運動をめぐる諸般の情勢は流動的で将来を予見しがたい面もあるが、少年の将来についてはその自覚に期待するのが適当であると考えられるので、本件については保護処分に付することなく不処分決定が相当であると思料する。

なお、検察官の意見は身柄付逆送による刑事処分を相当としているが、その理由としての「少年に何ら反省の色もなく再犯のおそれは大である」との見解は、上記の経過より明らかなように、目下のところ認めがたい。

以上

別紙四 意見書

昭和四四年一月二七日

昭和四三年少第一六一八九号

東京家庭裁判所家庭裁判所調査官 柳正男

東京家庭裁判所裁判官 市村光一殿

少年 B・T

昭和二四年一月三〇日生

住居 東京都江戸川区○○○×丁目○○番○号

上記少年に対する保護事件は調査の結果下記理由により不処分決定(法二三条二項)を相当と思料する。

理由

一、第二回審判後の経過について

<1> 昭和四四年一月一六日の第二回審判において審理続行となり、次回審判期日を昭和四四年一月二七日と指定されたのち、同日、当職は当庁において少年、両親および附添人に面接し、少年が希望するならば、次回審判期日までの間にさらに少年との面接を行ない本件について話しあつてもよい旨を告げたところ、少年は当職の面接を受けたいと希望したので、一月二二日午後二時に当庁に出頭するように指示した。

<2> 昭和四四年一月二〇日(月)保護者に電話したところ、母親は「一月一八日、一九日の両日にわたつて東大に機動隊が導入され安田講堂その他の封鎖開除が行なわれた際は少年は東大へは出かけずに家にいてテレビをみていた。多少自重しているようなので安心した」とのことであつた。

また、附添人からは電話にて「第二回審判で保護観察処分にしてほしいと述べたが、そのあとで考えてみて、調査官が第二回審判で述べた意見(少年の自覚に期待するのが適当)の方が正しかつたと思つている。第三回審判では、附添人としては是非不処分にしてほしいと考えているので、その旨を裁判官にも伝えてほしい」とのことであつた。

<3> 昭和四四年一月二二日(水)午後二時に少年が出頭したので当庁で面接したところ、少年は次のように述べた。

(一) 一月一七日(金)に東大に出かけたが、東大に機動隊の導入された一月一八日(土)と一九日(日)は、風郡をひいてしまつて東大へは出かけずに家にいた。もつとも一九日(日)には神田での学生と機動隊との衝突のことが心配になつたので、神田まで様子をみに出かけたが、衝突場面には出会わず、そのまま帰宅した。

(二) 東大の紛争については、東大はエリート官僚を生みだす大学であるから潰した方がよいと考えている。学生運動については今後も続けていく。しかし、暴力行為や違法行為についてはくりかえさないようにしたい。本件の処分については、今後は自分でよく考えて行動していくようにするから不処分にしてほしい。

二、本件の問題点と少年の処遇について

第二回審判時に提出した当職の昭和四四年一月一五日付意見書に記載したとおりであり、第二回審判後の経過をみても、とくに意見を変更する必要はないものと考える。なお、不処分決定を相当と思料する主たる理由は

<1> 少年には公安関係事件を除いては、再非行のおそれはなく、また、公安関係事件についても、本人が本件によつて深く反省しており、今後、違法行為や暴力行為は慎しむと述べている。

<2> 少年の家庭に保護能力が認められ、ことに父親が少年ともよく話しあつており、父親の指導力に期待がもてる。

<3> 少年が知的にも性格的にも正常な少年であつて、その考え方にやや未熟な面がないとはいえないものの、すでに数日後には成年に達することを考えると、少年の自覚と父親の指導にゆだねるのが適当である。

以上

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